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「平安の祈り」について
(1)平安の祈り
アルコール依存の自助グループなどで「平安の祈り(Serenity Prayer)」と呼ばれている次のような祈りがあります。
神様 私にお与えください
自分には変えられないものを受け入れる落ち着き(Serenity)を
自分で変えられるものを変える勇気を
そしてその二つを見分ける知恵を
これは、アシジの聖フランシスの祈りと呼ばれたりすることもありますが、もっと遡って紀元前のイタリアの思想家に由来するとの説もあります。祈りではありますが、宗教的なものと一応切り離して考えてみたいと思います。
(2)「変えられないもの」と「変えられるもの」
依存症の問題を抱えているいないにかかわらず私たちには沢山の変えられないものがあります。ですけれども、変えられるものも沢山あります。変えられないものの究極には「死」がありますが、死までゆかなくても私たちの日常には老い、病い、障害など、変えられないものが満ち溢れています。
変えられないものを受け入れられない場合、私たちはどうしても必死で何とかして変えようと努力するわけですが、それが変えられないものである場合には、どんなに努力しても変わりませんので、結局私たちは疲れ果ててしまいます。では変えられるものの場合はどうでしょう。変えられないものを受け入れるとは、変えられるものに対しても何もしないでそのまま受け入れるということではありません。変えられるものについては、変えられるかぎり変えてゆく取り組みをするための勇気が祈られています。変える勇気がない場合、私たちはいつまでも泥沼的な現状に振り回されてしまうのかもしれません。そこで両者を見分けて、それにどう取り組むかがポイントになってきますので、二つを見分ける知恵が祈られるのでしょうね。
(3)ストレス・コーピング(対処)
変えられないものをストレス源(ストレッサー)と捉えますと、変えられないものにどのように対処してゆくか、これはストレス・コーピング(対処)の問題として考えることができそうです。一般にストレッサーを経験した場合、ストレス反応が起こります。たとえば仕事でミスをして上司から怒られた(ストレッサー)場合など、気分が落ち込んだり自己嫌悪に陥ることがありますが、それがストレス反応です。ストレス・コーピングは、自分を辛くさせたり苦しめたりするストレス反応を軽減させるための対処のことです。
実は私たちは日常的にストレス・コーピングをしています。欲求が満たされない状態が継続しますと、私たちはイライラや不快感を大なり小なり覚えます。たとえば空腹のとき(ストレッサー)、食事をすると空腹に由来する不快感(ストレス反応)はなくなります。あるいは電車で足を踏まれて痛くて(ストレッサー)不愉快になったとき(ストレス反応)、踏んでいる足を取り除けば、痛さはなくなり不愉快さも軽減します。こうした場合の食事をすることや踏んでいる足を取り除くこともストレス対処の一つです。
ところでテーマのギャンブルですが、ギャンブル依存症の方にとってのギャンブル欲求、これは変えられるものなのでしょうか、それとも変えられないものなのでしょうか。ギャンブル依存の方がそれを変えられるもの、つまり自分でコントロールできるものと考える場合(これは「否認」なのですが)、ギャンブル行動への障害は小さくなるのではないでしょうか。その結果ギャンブルの出費がかさみ借金まで抱えるようになると、借金返済資金を調達するためにギャンブルをするという行動パターンが身についてしまうかもしれません。借金をストレッサー、ストレス反応を返済の重圧や不安と考えますと、借金返済資金調達のためのギャンブル行動はストレス対処に相当します。ですけれども、このストレス対処は新たなストレス状況(借金の増大、家庭崩壊の危機など)を招き寄せることになりますので、悪循環になります。
ではギャンブル欲求を変えられないものと捉えた場合はどうなのでしょうか。この場合は、自分ではギャンブル欲求をコントロールできないことを受け入れることになります。「コントロールできないこと」、これは一種の敗北宣言ですので自分が無力さを抱えていることに向き合わざるをえなくされます。それがストレッサーとなって、無力さに由来する惨めさや劣等感などのストレス反応に苦しめられ、それを軽減するために、ギャンブルによる勝利が求められることもあります。ただこの場合、前回取り上げた「否認」のメカニズム(「自分は無力ではない」という否認)が作動しているのかもしれません。
何だか、ギャンブル欲求を変えられるものと考えても変えられないものと考えても、結局ギャンブル行動からの離脱にはつながらないということになってしまいそうですね。それでは困りますので、もう少し考えてみたいと思います。
私たちはギャンブル欲求を変えられないものとして受け入れると、ギャンブル欲求に振り回されてしまうのではないかと不安にかられますが、実はギャンブル欲求とギャンブル行動は同じものではありません。私たちは誰しも多種多様な欲求を日々感じていますが、そのすべての欲求が必然的に行動に繋がっているわけではありません。ギャンブル依存症の問題はギャンブル欲求を感じること自体よりもギャンブル行動によって深刻な結果を引き起こすこと、その点にありそうです。ではどうすればいいのでしょうか。
(4)選択肢を広げる
ギャンブル欲求が満たされない状況(ストレッサー)に出会いますと、それに由来するつまらなさ、退屈さ、虚しさ、空虚さ、うっとうしさなどの気分(ストレス反応)に襲われることがあるかもしれません。ストレス反応のこうした不快さを欲求充足で一気に解消しようとしますと(ストレス対処)、ギャンブル行動が選択されることになります。ではそれ以外の対処法はないのでしょうか。
大事なのは、辛くて重いストレス反応で生活に支障をきたしたり潰されたりしないということです。つまり、ギャンブル欲求が満たされないことへ反応としてのつまらなさ、退屈さ、虚しさなどの気分が自分を苦しめるのだとしますと、それをギャンブル行動以外のものでどうやって軽減するかということです。それまではギャンブル行動という選択肢しかなかったのかもしれませんが、それ以外の選択肢を増やしてゆくこと、これは変えることのできるものではないでしょうか。
たとえば、自助グループやグループ・ミーティングで同じ問題を抱えている仲間と出会うことで、自分の苦しみをわかってもらえること、あるいは自分が無力であることを否定的にではなく暖かく受け止めてもらえること、そうした経験はギャンブル行動以外の選択肢の一つ一つになってゆくのではないでしょうか。また、私は自分を苦しめるストレス反応を軽減するのに認知行動療法のアプローチが有効ではないかと思っている一人ですが、そうしたアプローチを身につけることも選択肢を広げることになってゆくのではないでしょうか。
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