「ギャンブル依存症」を考える/04
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嗜癖行動の意味

(1)嗜癖行動にはどのような意味があるの?

 「嗜癖行動には意味がある」。こう言われますと、「では、どういう意味があるの?」と直ちに聞き返したくなりますね。よく言われるように、「人間のすべての行動には意味がある」のだとしますと、嗜癖行動に意味があるのも当然なのかもしれません。でも「意味」という言葉、どうも漠然としていてイメージしにくいですね。わかりやすく言えば、嗜癖行動によって何かが手に入れられようとしているということです。ですから、嗜癖行動の意味を考えることは嗜癖行動がどのような機能(作用・働き)をしているかを考えることだと言ってもいいかもしれません。
 なるほどと思った説明(吉岡隆編『共依存――自己喪失の病』中央法規出版、参照)があります。天秤をイメージしてみてください。左右の皿に同じ重さの錘(おもり)が載っていると天秤はバランスが取れます。では、左側の皿に錘を載せて右側に載せないと、天秤はどうなるでしょう。言うまでもなくバランスが崩れて傾きます。バランスを取り戻すためには、左側の錘に見合うだけの錘を右側にも載せればいいですね。左側の錘が重ければ重いほど、右側にも重い錘を載せることになります。ここで、バランスを回復するために右側に載せられる錘、それを嗜癖行動と考えてみたらどうでしょうか。嗜癖行動が激しいということは、それだけ左側の錘が重いということですね。
 では依存症の場合、左側の錘はどのようなものなのでしょうか。それを自分が生きる上で抱えている重荷、あるいは直面している困難、そのようなものと考えてみたらどうでしょうか。生きることに関わっていますので、こうした錘が重ければ重いほど、それは生きる上でそれだけ大きな重荷や困難さを抱えているということになりますね。そうした重荷に押し潰されずに何とか生き延びようとすれば、右側の皿にそれに見合うだけの錘を載せてバランスを取ることになります。それがアルコールや薬物、あるいはギャンブルなどの嗜癖行動になります。
 このように考えますと、嗜癖行動を「生き延びることへ向けて取られている行動」、そのように捉えることができるのではないでしょうか。症状が重いということはそれだけその方の困難の重さを表していますので、症状をSOS信号として受け止めることもできます。別の言い方をしますと、嗜癖行動は、自分の抱えている困難さを自己流で解決しようとする一種の「自己治療」の試みではないだろうかということです。ですから、嗜癖行動で狙われているのは、抱えきれなくて潰されそうになっている困難さからの自己救出だと言っていいでありましょう。では、嗜癖行動はどのような形で「自己治療」や「自己救出」の機能、つまり働きをしているのでしょうか。

(2)「自己治療」の試み

 抱えきれない重荷(困難さ)を取り除こうとしても取り除くことができない(=「無力さ」)、こうした状況を私たちはどのように受け止めるのでしょうか。周囲に同様の困難を取り除いている人がいれば、同じようにできない「自分はダメな奴」「みじめな奴」、そんな言葉が頭の中をよぎるかもしれませんね。自分を「ダメ」とか「みじめ」という言葉で捉えますと、どうしても気分は落ち込みます。落ち込みやうつ気分のため生活を楽しめなくなり、つまらなさが膨らんできて、それでも何とか生き延びようとしますと、そうした気分に押し潰されないために何とかしようと試みられます。それが「自己治療」や「自己救出」の行動ですね。
 ギャンブル問題を抱えている方にお尋ねしますと、多くの方が「ギャンブルの最中は台に集中しているので余計なことは何も考えないでいられる」、そのようなことを口にされます。ということは、ギャンブルの最中は少なくとも気分の落ち込みや鬱陶しさ、つまらなさを遠ざけて、楽しさや充実感を味わうことができている、そのように理解できそうです。ギャンブル行動によって、心地よさという結果(快)が一時的にしろもたらされますと、快をもたらす行動が学習されますので、気分的に不快さを感じた場合、快の入手を狙ってギャンブル行動が選択されやすくなります。そうした選択が繰り返されるうちに行動が習慣化しますと、ギャンブルにのめり込む度合いも大きくなってきます。ですけれども、それと引き換えに金銭問題や人間関係の破綻(はたん)を招くのだとしますと、一時的な快の直後に膨大な不快さを抱え込むことになりますので、その不快さを遠ざけ快を招きよせるためにギャンブル行動はますます加速することになるのではないでしょうか。そういう意味では、ギャンブル依存症はギャンブル行動による「自己治癒」「自己救出」の試みがうまくゆかなかったことの到達点だと言ってもいいかもしれません。

(3)自己否定感への対処

 ギャンブル依存行動を、抱えきれないで潰されそうになっている困難さから自分を守るために取られている一つの対処法として捉えますと、問題はその対処法が自分に大きなマイナスの影響を及ぼすという点にあることが明確になってきます。では、ギャンブル依存行動を止めさえすればすべて解決するのでしょうか。どうもそうではないようです。ギャンブル依存症の方にとってギャンブル依存行動は自分を守るための対処法の一つですので、それを取り除くことは自分を守る対処法を手放すことになります。ここにギャンブル依存行動を容易に手放せない要因があります。
 ではどうすればいいのでしょう。一つはギャンブル行動以外の対処法を探すということです。とはいいましても、アルコールや薬物依存行動ですと、マイナスの影響が大きくなりますので、できるだけ安全でしかも自分が楽しめる対処法を探すことになります。もう一つはそれ以上に重要なことですが、先ほどの天秤の例でいいますと、天秤の左側の錘が少しでも軽くなれば、右側の錘も軽くてすむということでした。ですから、大事なのは左側の天秤の錘、すなわち自分で抱えきれないで苦しんでいる困難さを少しでも軽くすることです。でも、どうやって?
 「ダメ」とか「みじめ」という言葉、これは自分を否定的に評価する言葉ですので、自己否定感を強める働きをします。自己否定的な気分の不快さを一気に晴らすためにギャンブル依存行動が取られるのだとしますと、それ以外の安全な行動を探すことと併せて不快な気分を軽減させること、それがギャンブル依存症からの回復の一つの道筋になるのではないでしょうか。認知行動療法のアプローチでは、自己否定感を強める認知(思考や評価)を検討することで、自分を苦しめる不快な気分に対処(「認知的対処」)しようとされます。たとえば先ほど、「他の人はできているのに、自分はできていない」という状況で、「自分はダメな奴」「みじめな奴」という認知を通して自分を捉えると、気分が落ち込んでくるのではないかと言いました。でも、他の人にできていることを同じようにすべてできる人はどこかにいるのでしょうか。他の人にできることで自分にできないことが沢山あるように、自分にできることで他の人にできないことも沢山あります。ですから、何か一つできないことがあったからと言って、それが「自分はダメ人間」ということに直結するわけではありません。もし、他の人にできていることが自分にできないことを根拠にして、自分を「ダメな奴」「みじめな奴」と考える(認知)のだとしますと、それは自分の一部分で自分の全体を染め上げていることになりますので、部分の全体化あるいは過度の一般化といった認知が検討課題として浮かび上がってきます。そうした検討を通して不快な気分を軽減させる、これは認知的対処になります。
 行動的対処としては、たとえば自己否定感を刺激したり強化する関わりではなく、自己肯定感を育むような繋がりの中で自己効力感や自己対処力を高めてゆくことが考えられます。依存症領域では、自助グループやグループ・ミーティングがそうした機能を果たしているのではないでしょうか。そうしたグループでは、同じ困難を抱えている仲間に出会うことができますし、また同じ困難からの回復への道を歩まれている先行く方々もいらっしゃいます。そうした方々との出会いや交わりを通して、回復への道筋を学ぶことは大きな支えになるのではないでしょうか。そしてそこにはギャンブル依存症者でない方々にも学べる多くのものがあるのではないか、そのように思っています。


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